■オリーブの香り■



 ああ、これはオリーブオイルのにおいだ。濃厚で、まろみを帯びた甘いにおい。煙が出るほどよく温め、十分に香りを立ててから玉ねぎを入れる。

 双児宮に備えられている炊事場は、この砦に集う兵士たち全員を賄えるよう、巨大で、無骨で、専門的だ。そこだけ見れば、どこかの大きなホテルの厨房かと思うだろう。そしてとんでもなく前時代的だ。水場から竃(かまど)まで大又で十数歩も歩かなければならない。数百人の食事を作る設備なのだから仕方がないが、今現在ここに住んでいるのは俺と兄貴の二人だけだ。二人分のメシを作るには不便なことこの上ない。だから、俺はメシの仕度が嫌いだった。兄貴と俺の部屋のある一画に小世帯用の台所を作ろうという話が浮上して、まとまらぬまま何となく立ち消えになり、現在に至っている。

 じゅうう、という音がした。そして、なんとなく水蒸気が部屋に漂った気がした。いい香りだ。玉ねぎがあったまってくると、バラバラにばらけ始める。この頃が一番楽しい。それより経つと、すぐに焦げる。絶対に焦がすなといつもデスマスクは言うが、焦がしたくて焦がしているわけではない。気がつくと焦げているんだ。たぶん玉ねぎの品種に問題がある。人類は叡智をかけてその改良に取り組むべきだ。
 俺が飯屋の店主だったら、お前をぶん殴ってもう一度初めからやり直させるところだ、と毎回デスマスクはいきり立つが、ここは飯屋でもないし、俺は奴の弟子でもない。それに、本当の達人ていうのはな。知ってるか?本当の達人は、失敗しないんじゃない。失敗を上手くカバー出来るんだ。
 デスマスクの料理は上手いが、でも好みじゃない。やっぱりこれは人種、民族の壁なのだろう。俺はもっと香草の香りが強くて、コクのある方が好きだった。腕前からすれば、デスマスクの方が格段に上だ。だが、俺はサガが作ったメシの方が好きだった。こんなことは死んでも口には出せないが、いや、口に出したら確実に殺されるだろうが、まだ料理の下手な新妻の作ったメシのようで、俺はサガの作るメシが好きだった。俺は枕を抱えたまま寝返りを打った。

「カノン、腸詰めはどうした?まだ残っていたと思ったが」
 件の厨房から、サガの声が聞こえた。俺の寝ている部屋まで相当の距離があるから、その声は叫び声に近い。
「こないだ食っちまった」
「なに?!」
「だから、く、っ、ち、ま、っ、た、!!」
 この間、サガが出かけていて俺一人だったとき、全部食べてしまった。一人分の食事の仕度なんぞ、死刑執行に近い。面倒で面倒で、パンをあたためることさえせずに腸詰めとともにそのまま食べたのだ。
「なんだと?!それでは肉が全く無いではないか!」
「豚の足があるだろ!」
「豚の足?」
「生ハムだよ、あっちに吊るしてあるだろ!」
 この料理に生ハムなぞが合うか、とサガが言った気がした。
ばかやろ、別皿に盛ってもう一品で食えばいいだろ。

「お前、本当は具合なぞ悪くないだろう!頭痛がひどくて寝ているヤツが、こんな大声での応酬なぞ出来るものか!」

 やべ、バレた。
また延々と説教か。勘弁してくれ。

 俺は布団を頭から被って小さく丸まった。

「まぁいい。たまにはそんなこともあるだろう」

 ……へ?
 拍子抜けだ。最近、あいつ、丸くなって来たな。トシか?それとも、俺がどれだけ愛しい存在であるかやっと気付いたか。


「お前に、美味い物を食わせてやろう」

 ………。

 俺は、言葉を失った。どうにも照れくさくて、枕に顔をうずめた。
洗いたてのシーツが心地良い。どうしてもにへらにへらと締りを失う口許に難儀しながら、俺は幸せを噛み締めた。




・おわり・